スマトラ人's profile復活!オーのブログPhotosBlogLists Tools Help

スマトラ人

Occupation
Interests
酒好き(特にビール)。

復活!オーのブログ

ご無沙汰しておりました。再開します。
May 01

引越し(1)

ゴールデン・ウィークに突入した。
今日はお客様に呼ばれ、神奈川県大和まで。なぜか朝早い
アポで、よほど忙しくて時間が取れないのかと思いきや、
アメリカとの電話会議に参加させられる。時差を考えると致し方
なし。久々に聞く米語でついていくのも一苦労。しかし電話の
向こうで、もとスタッフであるボブさんの声も聞け、アメリカを離
れて一ヶ月も経っていないが、妙に懐かしい。
 
さて、今年のGW(まさかGWを日本で過ごそうとは・・・)最大の
イベントは、帰省でも旅行でもなく、お引越しである。大学を卒業
以来何回引っ越したことか。北九州-京都-調布-国分寺-カイロ
-東村山-広島-川崎-シンガポール-川崎-エリコットシティー
(メリーランド)-川崎と都合12回。13回目はまた川崎、現在住ん
でいるところから車で10分程度。何でまた引っ越すのか?
ひとつには今住んでいる所が結構年数が経っていて、設備に
不便を感じることが増えたこと。もうひとつは気分転換。アメリカ
に住む予定で、せっかく荷造りを進めていたことを思えば、この際
引っ越してしまえ!というのが偽らざる心情である。
 
しかし引越しの準備をしていたとはいえ、進捗具合で言えば、
高々20%ぐらいだろうか。結婚して来年は25年、引越しのたびに
いろんなものを捨ててきたが、今回も意を決していろんなものを
処分している。
 
処分に中々踏ん切りがつかないもの、中でも本は悩んでしまう。
本は財産と信じているが、引越しで一番厄介なのは本だ。整理を
進めると自分の読書暦やそのころの生活が彷彿と思い出され、
いってみれば自分史のようなものである。
 
最近では本も電子化されたり、朗読のCD化されたり、つまりペーパー
レス、デジタル化が進んでいる。これほど紙を消費すると確かに
環境にはやさしくないことは確かだろう。近い将来、神保町から
古本屋は姿を消してしまうかもしれない。
 
しかし思想的な問題で、特定の本というものの存在を認めなかった
時代と違い、すべてをデジタル化し本の存在を抹殺する、現代版
焚書というべきか。
 
 
 
 
 
 
 
 
April 13

顔のYシャツ

今週から日本での本格的な生活が再スタートした。
 
朝の通勤はつらい。7時を過ぎると殺人的に混雑するOdaQ。
満員電車を避け少し早めに電車に乗る。家を出るのは6時半。
 
うちには便利な目覚ましがある。猫である。日の出が早くなるにつれ、
寝床にやってきてはえさを催促され、目が覚めてしまう。しかし冬は
頼りにならない季節限定目覚ましだ。
 
以前と違って自宅から最寄の駅までは歩いている。15分ほど。
駅の周辺は再開発が進んでいて、戸建、マンションの建設
ラッシュだ。森が切り崩され、数年すると人と車にあふれた
街に変貌するのであろう。
 
あえて各駅停車を選び揺られること約30分。途中代々木上原で
下車し、Macで100円コーヒーを飲む。落ち着いたところで千代田線
に乗る。始発なので、急いでなければ座っていく。年だねぇ。
千代田線で20分、新御茶ノ水で下車。
 
東京の支社には、途中シンガポール駐在をはさんで、かれこれ
10年以上通っている。いまだ謎のまま通り過ぎている店がある。
それが「顔のYシャツ」である。とにかくでかい「顔」の看板を掲げて
いる。しかし店は至って普通の「洋服屋」、靴下だって3足\1,000だ。
神田店のほかにも銀座店もあるらしい。銀座店にも大きな
「顔」の看板を掲げているのだろうか。そもそも銀座のどこにあるのか。
 
この店で買い物をしたことはない。靴下3足\1,000であっても、
カジュアルシャツが\3,980でも、買い物をする理由、動機は今の
ところ見当たらない。
 
「顔」は、人間のパーツで唯一裸であらわになっている。なぜ顔は
隠さず、露になっているか?顔を隠す習慣があるのはイスラムを
信じる女性である。習慣というより宗教上の戒律である。目だけ
出ている状態はどこか不気味だ。
 
自分の感情や心理状態を素直に「顔」で表現したいこともあれば、
「顔で笑って、心で泣いて」というように逆に隠してしまいたい事
だってある。
 
「顔のYシャツ」なんてもので心の状態を着飾ることができれば、
心も少し楽になる事もある。このお店で買い物をするとすれば、
そんなシャツを見つけたときかな。しかし、お値段はいかほどに
なるんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
April 02

日本へ帰国(2)

アメリカでの生活にピリオドを打ち、明日帰国の途に着く。
いったん立ち上げた生活を閉じるのであるから、それなりの
エネルギーを使うが、日本から届いたダンボールのほとんど
は、日の目を見ることがなく、引越しそのものにあまり手を
かけずに済んだ。
 
しかし自動車の売却やら、家主との連絡やら、時間に追われて
最後の最後まで、つまり今日までかかってしまった。
 
自動車の売却が終わり、オフィスに戻る。2時半からミー
ティングがしたいというマネジャー。彼の後を付いていく。
なんとスタッフのほとんどがキャンティーンに集まっている。
ケーキまで用意してくれた。これは思いもかけなかった。
 
わずか半年、実働4ヶ月という短い間だったのに・・・・。
それぞれに皆と議論したことがよみがえり、心では粋な計らい
に涙し、顔で笑ってケーキにナイフを入れる。
 
ワシントンの桜もこの暖かさで今週中には満開を迎えるので
あろう。会社の中庭の桜、ソメイヨシノと少し種が違うのだろうか、
白い花が五分程度開いている。もう少し居れるものなら、今週の
TGIFは絶対にこの中庭であったはず。
 
夕食はこの地区の支店長さんに誘われ、空港に程近いところで
メリーランドの名物Crab Cakeを。この支店長、中々のやり手だが
若いころは軍隊で学費を稼ぎCollegeに通ったという。セミナーの
講師で来ていたM教授と、支店長の奥さん、一粒種のLuke君
(3歳半)も同席で、楽しいひと時を過ごした。支店長一家は
目も飛び出すばかりの美しい奥様とこれまた人形かと思うばかりの
息子さん、絵になる家族である。写真をお見せできないのが残念だ。
 
日本から正式に外交使節がアメリカを訪れたのは今から147年前、
日本では万延元年、西暦1860年のことである。この外交使節は
ちょんまげに両刀を差し、紋付はかまを正装に東海岸はワシントン、
ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨークを訪れた。使節団の
多くが目を見張ったのは、当時のテクノロジー、蒸気機関。人々の
生活がこれほどまでに便利なのかということを目の当たりにしたの
であろう。しかし、その便利さを享受できたのは一握りの階層であっ
たであろうし、いまもその格差は拭い去ることはない自由の国。
 
使節団が驚きをもって経験したテクノロジーは、今ではさほど目に
見えるものではないかもしれない。むしろ、テクノロジーを超えた
人種のよりどころとなるものの考え方=文化を理解できなかった
使節団、なにせアメリカは人種の坩堝であり、単一民族が狭い
島国で閉塞している日本とは事情が違う。民族を超えた寛容と
民族間の対立を同時に抱合せざるを得ない国、アメリカ。
 
遣米使節団が初めてアメリカを訪れて、100年を経ずして不幸にして
戦火を交えた。アメリカの領土を攻撃したのは、いまだかつて真珠湾
奇襲と9・11しかない。TV番組ではこの2つの事実をいまだに細部に
まで追跡しているということ。
 
以上感ずるままに。
 
 
 
 
 
 
 
 
March 24

日本へ帰国(1)

一昨日からアメリカへ来ている。今日は少し肌寒いが、春の訪れを待ち構えた
かのように鳥のさえずりがにぎやかになってきたし、リスがえさを求めて走り回
っている。暖冬といわれたが、2-3月の東海岸は結構寒かったようである(この
間ほとんど日本にいたのでわからない)。
 
春の到来で何かが始まるという期待感は、ここでも同じだ。もうすぐ大リーグも
開幕する。松坂が大リーグでどんな投球を見せるのか楽しみだ。
 
日本で検査を受け、大体の治療の見込みが立ったが、再渡米しての業務は無理と
医者に宣告され、日本へ帰任することとなった。今回こちらへ来たのは、引越しやら
車の売却、家具の処分、電気、電話などの契約の解約など一切合財の手続きを
するためである。
 
こちらの同僚には、何の役にも立てず、申し訳ない気持ちでいっぱいだし、日本で
引越しの準備をしていたかみさんの落胆も大きい。こういう形でアメリカの生活に
終止符を打とうとは、予想だにしなかったことであるし、心機一転また日本でという
気持ちには到底なれないというのが正直なところだ。まぁ気分転換に引越しでも
しようかと考えている。
 
昨夜は本当に久しぶりにRさん、たーさんとTGIFを楽しんだ。Rさんはブログの更新
を毎日チェックしていたとのこと。うれしい限りである。日本に帰っても続けるからね。
 
さてさて荷造りに取り掛かりますか・・・・。
 
 
February 26

DFQ

さて、8日に及ぶ入院生活を終え、ただいま一時帰国中である。
肺炎による呼吸困難は収まったものの、同時に見つかった
心臓機能の低下を徹底的に診てもらえ、というわけで都内の
とある病院で検査を受けている。
 
シンガポールで知り合ったNさんへ連絡する。病状を心配してもらう
と同時に「久しぶりにカルテットでも」とお誘いを受ける。
 
DFQは「Double Fufu Quartett」の略で、Nさんご夫婦が1st Vn、
Celloの組み合わせ、うちが2nd Vn、Vlaの組み合わせで、
ベートーベンの弦楽四重奏を続けている。
 
渡米前にとりあえず作品18の6曲を弾きとおし、ラズモフスキー
突入というところで中断してしまった。渡米して楽器を弾いていない
もどかしい状況が続き、Nさんのお誘いは渡りに船であった。
 
練習はこれまたシンガポールで知り合ったM先生ご夫妻宅の
スタジオで。
 
久しぶりのカルテットの合わせで、最初は探り合いであるが、曲
の感じもわかってきて、楽しい練習となった。
 
練習もさることながら、練習後の1杯と、Mさん(だんな)が出してくれる
料理がまた格別である。そのMさんご夫婦も来年は海外の学校に
赴任がきまっているそうで、このような「場」がなくなってしまうことを
思うと寂しい限りだ。
 
 
 
Photo 1 of 15